近くにいるからこそ見えないものがある。
少し距離を置くことにより、俯瞰できるものもあるものだ。
悲しいかなそれがわかるには「年齢」ではなく「経験」が必要なのであろう。
柳家花禄が祖父であった、人間国宝の小さんが亡くなってから「小さんは孤独の時間を積み重ねていた。」ことがわかったと書いている。
一流は見ていないところで「研鑽」を積んでいる事だけは確かであり、「私やってます!」とアッピールしたりしているうちは一流にはなれないそうである。
そういえば本当に多忙な人はけっして「忙しい」と口にはしないなあ。